贅沢ミニマリスト

「彩透(さいとう)いろ」の小さな暮らし

ミニマリスト流「食べる美容液」とは。美容を兼ねた食生活

ものを持たないミニマリストとして、美容液を肌の外側から塗る前に、まずやりたいことがあります。

美容アイテムは高い。種類が多い。継続が必要。よってお金がかかる。

こだわりすぎると破綻‥とまではいかなくとも、物欲のマキシマムスパイラルに陥る恐れがあるカテゴリー。女性は(最近は男性も?)意識と心がけが必要です。

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その心がけとは、美容液ほど美白効果の高い野菜を食べること。インナービューティー(内面美容)に取り組むこと。
 

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女性ミニマリスト的「美容と健康」を兼ねる食事とは

私は女性なので、やはりアンチエイジングエイジングケアには興味がある。ただ食べるだけでなく、健康効果美肌効果を期待して厳選するようにしている。

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野菜は「両手いっぱい」を目標に、旬の野菜を中心にとにかく野菜をたくさん食べる。私の食べる野菜の量を見て、家族も職場の人もちょっとびっくりするくらいだ。

難しいことや栄養のことを考えるよりとにかくお腹いっぱい野菜を食べる。気をつけるとするなら、単一の野菜だけでなく、カラフルになるよういろんな色の野菜を選ぶようにすることだ。

旬の野菜の中でも例えばトマトの赤、人参のオレンジ、ブロッコリーの緑、というようにカラフルに食べるようにすることで、自然と様々な栄養素を摂ることができる。

年齢を重ねるたびに肌や肉体に衰えを感じるのは、身体が酸化しているから。野菜には身体が錆びていくのを防ぐ役割をする成分がたくさん含まれている。

どの野菜にどの成分が入っているか覚えるのは大変。だけど食卓がカラフルになるよう野菜を選択すれば、様々なフィトケミカルを摂取できる。

春には大きな旬の玉ねぎをネット買いした。

安くて美味しくて栄養がたっぷりで、心も体も嬉しい。ちなみに今日使った画像(トマト、バナナ、ブロッコリー、人参)は今日我が家で購入した野菜の一部。

カラフルだと食欲もそそられるので、見ているだけでも楽しいですよね。

ミニマリストになると得れるモノ増えるモノとは。

モノ減らして生活する人がミニマリストではない。では何をする人がミニマリストなのだろう。ミニマリストになると、お金では得れないモノが手に入るというけれど‥それは一体何だろう。

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小説家である村上春樹さんの自伝的エッセイ「職業としての小説家」の中にある一文を引用してみよう。

「世界はつまらなそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎めいた原石に満ちています。小説家というのはそれを見出す目を持ち合わせた人のことです。

そしてもうひとつ素晴らしいのは、それらが基本的に無料であるということです。」


「あなたは正しい一対の目さえ具えていれば、それらの貴重な原石をどれでも選び放題、採り放題なのです。」

この「小説家」という単語を「ミニマリスト」に置き換えても通用する、と私は思う。

(基本的にモノや刺激的な体験を買わなくても)世界はすでに豊かで魅力的だ、というのが、この文章にある基本姿勢である。私はその言い分に深く頷いている。

その豊かさや魅力、謎めいた原石に触れたいと思うし、その豊かさを享受したいと強く願っている。

今日は冷蔵庫の中が空っぽだったので、朝ごはんにスライストマトを3玉分食べた。空腹の身体に冷えたトマトの瑞々しさが広がった。

空腹だから感じられる、トマトの甘み、瑞々しさ。思わず目を閉じて、深い深呼吸をしてしまった。

日常の中からささやかだけれども、幸せを見つけるられる「目」。それが自分なりの贅沢な暮らしに繋がっているのかも知れない。

ミニマリスト的生き方をしているあの有名人とは。

作家の村上春樹さんが好きだ。ミニマリストになるずっと前から好きだった。どこが好きかと言われると分からない。スパイスカレーのように、美味しいのがなんだか分からないけれど、また食べたくなるあの感じに似ている。

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印象的な描写はやはり食べ物だ。どの小説だったかな。キューリとハムのシンプルなサンドイッチの描写にノックアウトされた。

あまりにも描写が美味しそうで、しばらくはキューリとハムのサンドイッチばかり食べていた。自分で作ったりもした。

不必要な単語がひとつも無いような、短い単語をつなぎ合わせたようなシンプルな文体、なのに、読んでいると本当に涎(唾液)が出てくる。何をどう作用させたらそんなことが出来るのだろう。

彼は小説の質を上げるために不必要なこと一切を徹底的にやらないことで有名だ。例えば彼はたったひとつの例外もなく結婚式に出席しない。

社会性とか、世間体とか、そういうものが欠如しているーー訳ではなく、小説家として精一杯できることをやることがーーつまり役割を果たすことが、小説家としての唯一自分にできることだと心得ているからだ。

毎日一定の距離を走り肉体を鍛え、コーヒーを沸かし、朝9時〜10時位までに仕事を終える。仕事とは400字詰め原稿用紙10枚分の小説を書き進めることだ。最も、今はPCで書いているだろうけれど。

彼の中でルーティーンが出来上がっている。小説家として必要なことしか彼はやらない。その生き方は潔く気持ちいい。その潔さが文体にもあらわれているようだ。

彼の小説は世界50カ国以上の言語に翻訳され、親しまれている。彼の生き方にも文体にもミニマリズムが息づいているように感じられる。

私はまだまだ断捨離の余地があり、ミニマリズムを学ぶ余地がある。私も自分の与えられた役割を果たせるよう、磨いていかなければ。