贅沢ミニマリスト

「彩透(さいとう)いろ」の小さな暮らし

ワードローブ【3年前と】比較したバリエーションの呪いと私の歴史

私は2015年頃から、たくさんの「いらない」を選んで捨て続けています。おかげで服をミニマムにする秘訣を身をもって経験することができました。

2019年夏の定番通勤服

2019年夏の定番通勤服

今日は2016年春に捨てた私のワードローブと今のワードローブを比較してみたいと思います。
 

2016年の私の服

2016年春の私のワードローブ

2016年春の私の服。

3段タイプの衣装ケースからはみ出すほど、たくさん服を持っていました。この頃はまだ、服にバリエーションが必要だと思っていました。

左:ボトムス
中:トップス
右:インナー

一応カテゴリー分けし、このケース一段に入るだけが自分の服、と決めていました。

私はこの頃も今も変わらず同じ職場で働いています。月18日程度の電車通勤です。なのでこれらの服の大半は通勤着です。30日間違うバリエーションで通えるだけの服を持っていたのです。

そう。服には「バリエーションが必要」と思い込んでいた時代の、私のワードローブなんです。バリエーションが必要ない、と気づいたのはもっと後になってから。

わたしはこの夏の通勤服をトップス3枚、と決めています。こんな風に服を厳選できるのは「バリエーションの呪いから解けたから」と言えます。

▼この夏の私の通勤服はこちらです。

私がかかっていた「呪い」とは

呪い、とは思い込みのことと言い換えることができます。

「たくさんのバリエーションを持たなければならない。それが普通だ。」そう私は思い込んでいました。

思い込むきっかけは、高校生の頃でしょうか。とあるファッション雑誌の巻頭特集となっていた企画「このアイテムで30日着こなせる」というバリエーション特集を読んだところから始まります。

この時私は「そうなんだ。30日間着回すアイテムを持つことが普通なんだ」と思い込みました。

そう思い込んだまま誰にも相談することなく、自分らしいワードローブを見つける旅が始まり、その旅はゴールを見失い、そして迷宮入りしていったのです。

服を選ぶ難しさは、自分1人で完結してしまっているところにあります。自分の思い込みで買ったり捨てたり悩んだりしてしまうのです。

そして決まったゴールが無いため、1人堂々巡りになることもしばしばあります。

こういう時ご家族など客観的にアドバイスしてくれる人がいると本当に有難いのですが、あいにく私にはそのような家族や友達や姉妹はいませんでした。

「服を選ぶのって難しい」「自分は服を何着持てばいいか分からない」「似合う服がわからない」そんな気持ちをいつも抱えていたのです。

▼「バリエーションの呪い」についてはこちらに書いています。

バリエーションを優先させていた

バリエーションを最優先にすると満足できません。例を挙げて説明します。

以下の4枚の画像は2015年頃のもの。その当時持っていた洋服の記録です。

カーディガンは万能選手と思っていた

カーディガンは万能選手と思っていた

例えばこのカーディガン一枚あれば、これ一枚で着ることもできますし、インナーを変えることで着方のバリエーションが広がります。

青キャミソール

青キャミソール

カーディガンの中にいろんな服を組み合わせればバリエーションは完成です。

赤キャミソール

赤キャミソール

簡単にバリエーションを豊かにすることが出来るのです。

白タンクトップ

白タンクトップ

これに加えて、一枚カーディガンを追加すれば、さらにバリエーションを増やすことができます。

しかし、3年経った今だから言えること。正直に正直に自分の心に正直に、申し上げまして。この頃の私のワードローブを一言でいうと。

「バリエーションは豊かで決して立て続けに同じ服は着ないけど着ていて不満足な服」でした。

もっと言うと着心地がいいわけでもなく、自分を素敵に見せてくれる服でもありません。嫌いな服を着ているわけでは無いけれど、好きな服を着ているわけでもありませんでした。

簡潔に言うと「他人軸(他人の目を気にした)服」と言えるかもしれません。

だけど当時はそんな自分の気持ちを。本心をうっすらと気づきながらも隠して。口に出すことさえ出来ませんでした。

今なら言えます。「私は私のワードローブが・・好きじゃなかった。」

だけど、そんな経験したおかげで・・「好き」な服が着たいと心から思えた!学べた!一度学ぶと同じ失敗は(おそらく)繰り返さないでしょう。

私はこの経験をしなければいけなかったのだと思います。暗いトンネルとくぐり抜けるように。

他人のことなんて実は見ていない

私が同僚や人の服のバリエーションを覚えているかと言うと、全く覚えていませんし、覚えていたところで何の意味もありません。人って自分に興味があり他人には無いのですね。

試しに昨日会った同僚やお友達の服、思い出して見てください。私の場合はスカートかパンツか、くらいしか思い出せません。あと全体の色味くらいです。

自分が好きな服を着るのが自分軸

自分が好きな服を着るのが自分軸

自分が好き、と思って着ているときっと表情が豊かになったり気分が良くなったりします。それはきっと社会生活を豊かにしてくれることでしょう。

たかが服。されど服。裸で過ごすわけにはいかない社会的な動物である私たち。服を着ない瞬間はあったとしても(入浴とか)服を着ない日はありません。

独身の時期、新婚の時期、育児の時期(真っ只中)を経験しながら「自分軸」で服を選ぶ。簡単ではありませんが、やりがいのあることだと思います。

まとめ

悩み続けて、今も発展途上にある私の歴史はまだまだ続いていきます。未来はもっと明るい!と信じて楽しんで悩み続けていきたいです。

ちなみに上に挙げた衣装ケースの服。あの洋服たちは少しずつ、厳選しながら、何年もかけて捨てて行きました。なので3年経って残っている服はたった一着。

結局バリエーションではなく「好き」で選んだ服は手元に残り、着尽くされるのだとしみじみ思います。それが一番無駄が無い買い方、ということになりますね。

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今回記事を書いて思ったのですが、着ていた服は画像として残しておくと振り返ることが出来て非常に便利だと思いました。

今からでも写真として残しておくとご自身の服の歴史が見えてそこから学べることがあると思います。