引っ越しをする、となってからモノをたくさん捨ててきました。引っ越しというタイムリミットがあったおかげで、たくさんのモノを捨てることができました。
▼引っ越し前に書いた記事はこちらです。だって、わざわざ使わないものを新居に運搬したくないですよね。最小限の労力で済ませたいです。
とにかく捨てて捨てて捨てまくった。その先には見たこともない景色がありました。
「捨てハイ」中の気づき
とにかくタイムリミットがありました。「迷う」時間すら惜しいくらい時間がありませんでした。
とにかく使わないなら捨てる。迷うなら捨てる。という感覚で捨てまくってきました。
重い腰を上げて捨て始め、少しずつゴミの量が増えていくと、「こんなにもたくさんのモノに囲まれていたんだな」と圧倒されました。
不思議だったのはモノを収納するためのモノ。すのこや棚や衣装ケースなどが意外と多く、捨てるのにエネルギーを必要としました。
こうやってどんどん捨てていくと「ランナーズハイ」ならぬ「捨てハイ」が起こります。捨てる気持ちよさが少しずつ分かってきます。
何が気持ちいいのかというと、淀みのない何にもない空間が出現して、スペースが喜んでいるような感じ・・がする。あの、神社仏閣のような、澄んだ感じ、に変化して行きます。
この時、やはりモノが多いということは、そこから何か発しているモノがあるのだな、と目に見えない「重み」をありありと、感じ始めました。
捨てる作業はエネルギーを使う
捨てる作業に取りかかる、ということは長いトンネルに足を踏み入れることでもあります。そう。終わりの見えない長いトンネルです。
捨てるものと捨てないものが混在する部屋は乱雑で、エネルギーの混乱を招きます。人混みの中にずっといるような落ち着かない感じ、が家の中にあるのです。
だから、捨て期間はよく睡眠を取るようにしました。疲れたら休息をとって、食事にも気を使いました。捨て続けるには気力と体力が必要です。
やはり片手間ではできません。私は捨てる作業に没頭するため、5ヶ月半ブログをおやすみしました。どちらもこなすことは難しかったのです。
ブログを再開できたのは、引っ越しして半月ほどたった頃からでした。ブロガー仲間の皆様におかえり!と言ってもらえたことがとても嬉しかったことを覚えています。
▼再開後一番初めに書いた記事です。その他には仕事もなるべく残業しないようにして体力を温存しました。なんのための体力かというと・・捨てるための体力!です。
捨てるとは・・体力も知力も判断力も労力も使う作業でした。こまめに捨てるのが一番エネルギーを使わずに済むのだと改めて気付きました。
おかげで少ない荷物で引っ越しできた
少ない荷物で引っ越し出来て、新居に来てからがめちゃくちゃ楽でした。
確かダンボールを20個分用意したのですが、家族3人でダンボールは余りました。1人ダンボール6、7個分で引っ越し出来た、ということになります。
必要最小限のモノは管理が簡単です。
「あれがない」「これがない」と大騒ぎすることが随分減りました。
何度も期間を決めて「捨てる」作業をして来ました。だけどやはり引越しの威力は偉大でした。
本気のタイムリミットで、現実を動かしていくしかありません。多大なエネルギーを使った後は、心地良い光景が広がっていました。
大変でしたけどね!それで捨てて、引っ越して来てどうだったかというと・・。
これだけ捨てるものがあったにも関わらず、ここまで削ぎ落としたにも関わらず、それでもまだ捨てるものがあるのです。
自分とモノの関係が変わる
新居に来て、驚いたこと。それは、今までは心地良いと思っていたものが「何か違う」。心地よく感じられない。
モノは変わっていないのに。なぜだろう?なぜだろう?その理由はしばらくして分かりました。
モノを捨てて私が変わったから。だから関係性も変わってきた。モノを捨てると同時にそれに対するこだわりも捨ててきた。
執着も捨てて、こだわりも捨てて、自分を覆っていた思い込みも捨てて。私が変わった。
から、モノとの関係も変わった。だからもっと少ないもので暮らせるという自信が・・出来た。
むしろ、もっと捨てて、自分に近づきたい。自分に近づくほど、楽で楽しくてストレスがない。そう。自分らしく生きられるって、幸せ。
半年まで極限までモノを捨ててみた結果、一番自分が捨てたモノはモノ(物質)ではなく・・・。
ありとあらゆる・・ああで無ければ、こうで無ければ、という自分で自分にかけている「こだわり」の言葉なのかもしれない。
だって、今はこんなにも自由で解放的。
▼こだわり捨てるの気持ちいい。
いつも来てくださりありがとう。▲
捨てることは自分を解放すること。半年というトンネルは長かったですが、その先には大きなギフトがありました。