先日、一人暮らしをしている父親の顔を見に実家へ帰りました。
多くのミニマリストさんと同じように、マキシマリストの両親に育てられた経験からミニマリストになっています。
そんな父の住む家に行くには勇気が入ります。
きっと部屋は散らかっている。それはもうわかっていること。それに口出ししてしまわないようにしなければ。
▽父親との葛藤についてはこちらで触れています
私は喧嘩しに行くわけでもなく、自分の正しさを主張しに行くのではなく・・元気な顔を見て(見せて)、幸せな瞬間を分かち合うこと。
それができれば十分なのです。
いいところ探しをしよう
父との関係で問題なのは、私が「心配から」父の暮らしにあれやこれや口出ししてしまうこと。
あれやこれや口出しをしてたくさんぶつかって険悪になって、(親子なのでもちろん修復はできますが)全然それがうまくいかなくて、部屋は散らかりっぱなしの・・今。
まず目に入ったのは、庭!
お花が好きな父、上手に咲かせることが出来る人です。
だけどやはり整頓と掃除とは・・苦手です。
そんな父上に、会いに行く時いつも同じやりとりがあります。
私「3日後に行くね」
父「片付けとかなあかんな・・モノがいっぱいやから」
私「まあ無理しなくていいよ」
そして到着間際のやりとりでは。
私「間も無く着くよ」
父「片付け終わってないから・・外でなんか食べよか」
そう。父は「人が来るときには片付けないと」という思いがあって、だけど出来ないからいつももどかしさを感じているのだな、と。いつも、それを、感じる。
家に入るとやはりモノで溢れていて古いモノの量にも匂いにも圧倒される。けれど何も言わない。
数日前に飲んだであろう洗ってないコップとか。椅子の上に置きっ放しの食べ終わったお菓子の袋とか。
手を伸ばして片付けることもできるけれど、私が「片付けモードに」なってはいけない。もう何度も・・失敗してきたから。(涙)わかる。
会える短い時間を。大切にして関係性を紡がなければいけない。というか、良い関係を築きたい。
父は目頭が垂れて眉が白髪になってそれもボサボサだから年々、優しい顔つきになっている。
声も小さくなっているし、何かを考えるテンポも話す速度もゆっくりになってきた。
なんだかふと「ゆるキャラ」みたいだな、と思った。
そう思うと優しい気持ちになれる。
近所の中華に連れて行ってもらい「好きなものを食べていいよ」と言われる。本当にそんなことを言ってくれるのは父くらいだから、嬉しい。
中華料理屋のテーブルで、ご飯が到着するまでの間、父から「見せたいものがある」と言われた。
何?とドキドキしながら聞くと、半袖のポロシャツをぐっと押し上げて、向きっとポーズを決めて、現れたのはふたこぶラクダのような筋肉だった。
69才の父の鍛え上げられた上腕二頭筋。
「すごいやろ」と自慢気で、明らかに「誰かに見せたかった」であろう筋肉を私は見つめ(そして触らせてもらい)
「すごいね」というと、すごく嬉しそうに納得した様子だった。
新しい筋肉系ゆるキャラのような父、独り暮らしで寂しい思いをしているのではないかという心配を、一気に塗り替えられて。筋肉によって、私は安心した。
父の1人時間を見せてもらったようで。1人孤独の中で筋肉を鍛えるなんてなかなかストイックだ。
家という入れ物は相変わらず散らかっていたけれど、父の身体はしっかりと栄養を取り込み
(ふたこぶらくだのような筋肉に育てるには相当なプロテインが必要ではないか、と思うのだけど、どうなんだろう?)
確かに脂肪のない父の身体は父にとっては神殿のようで、部屋を片付けるよりも人しれず身体を磨いているのかもしれない・・と思った。
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本当は家の中のごく一部、ほんの少しを見ていただこうかとも思ったのですが、見せられる部分なんてほんの少しも・・無くて。
だけど庭なら、ほんの少し、とアップしてみました。気分を害されたら本当にすみません。
無事、里帰りは・・成功。年に数回の数時間。
こんな温かな時間を積み重ねていきたいな。父との関係で、こんなポジティブな思いをもてるようになったのがミニマリストになった恩恵だと、思います。