旅という期間限定の「非日常」を楽しんで、いよいよ大阪に帰ります。人との関わり、地域の文化に触れた感動、郷土料理の美味しさ。
見るもの触れるもの全てに感動がありました。
例えばこの地域に数ヶ月滞在したならばこの「非日常」は「日常」へと変化していくでしょうね。
矛盾しているようですが、終わりがあるからこその「感動」なのかもしれません。
人生の楽しみ方って、そんな日常と非日常をバランスよく織り込むことなのかもしれないなぁと、この旅から学んだ私です。
日本人には「ハレ」と「ケ」の感覚があります。今回旅をしていて、そんなことを考えていたのです。
以下はウィキペディアから抜粋。
「ハレとケ」とは、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。 民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。〜ウィキペディア「ハレとケ」より
ウィキペディアによると、現代では単に天気が良いことを「晴れ」というけれど、江戸時代では長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と言っていたそうです。
時間軸の中にある「日常」と「非日常」という世界観。それを昔々から人は持ち合わせており、それを「ハレとケ」という言葉で表現されている、と私は解釈しました。
例えば、道後温泉という国の重要文化財に触れて感動している私。その隣では常連客の地域の方々がお湯をザバーンとかぶりながら世間話をしている光景がありました。
私は「感動」なのですが、地域の方々にとっては「普通のこと」なんですよね。だって明日も明後日も通えますから。
大阪へ帰る私とは時間軸の中にある「感覚」が違うんですね。
コカコーラひとつとってみても。関西にはないデザイン。内容量は250mlと少ないですが、もの珍しさにつられてつい買ってしまいました。
多分こういうの買うのって、旅人だけじゃないかな。地元の人は普通のコーラ、買いますよね。
だけど「非日常」に心が動いてついつい、ね。
その地域にゆかりのある場所へ足を運んでみる。それも「非日常」ゆえ。
だって大阪にあるミュージアム、通いませんもん。笑
「いつでもいける」と思うとなかなか、ね。
私はミニマリストで在り続けることって。「自律」していくことだなぁと思います。
日常生活を律するわけです。ほら、モノも脂肪も無意識でいると、たまって行きますから。
意識して必要と不必要を選択して、自分の空間を整えていくわけです。
旅の最中はそんなことしない。ただただ目の前に流れる景色に心が動かされる自由を自分にゆるす。
すると緩むし・・。感動する。
あえて言葉で言ってみるなら。「ハレとケ」をはじめ「不自由と自由」「不便と便利」。
その対極にあるような、どちらもが自分の生きる時間軸にあるからこそ。「幸せ」なのかもしれないなぁっていうこと。
サウナに入った後、ほてった身体を水でクールダウンさせることで身体の血液循環が活発になるように。
「人生のスパイス」というと大げさかもしれないけれど、「メリハリ」ある暮らしってなかなか贅沢なのではなかろうか?なんて私は感じたのです。
太陽が色を変えて沈んでいく姿を眺めながら・・。ミニマリストならではの「贅沢」についての考えが直感的にね、おりてきたのです。
1泊2日のミニマリストの弾丸の旅。また日常に戻ってきました。
この旅のおかげで「メリハリを楽しむ」暮らしがミニマリストライフにはあるんだってこと。気づかされました。
日帰りでもいいので、時々は旅に出てみること。オススメ、ですよ。
愛媛県の皆様、ありがとうございました!!!