2015年頃にミニマリストになった彩透いろは、今年でミニマリスト歴4年。
「なくてはならないと思い込んでいた」モノたちを「これ、本当に必要なの?」と向き合い、心に聞き、
こだわりを手放し続けるように、「モノ」を捨ててきました。
おかげさまで捨ててスッキリ「モノたっぷり」から「空間たっぷり」のエネルギーたっぷり身体も心も喜ぶ空間に。
家がどんどん軽くなって、軽さが楽しい毎日です。
そして「捨てる」ことは捨てて終わりではなくて。
捨てたけれど、やっぱりあのアイテムは素敵だったな・・と思い直す経験も・・捨てた分だけ、あります。
別れた彼氏の良さに、改めて気づかされた、という感覚に似てる。(分かりますか?分かりませんね。)
無かったら無いで生活はできるのだけど、あったからこそ豊かだったな、と感じる瞬間も。懐かしく思い返されることも一度や二度ではなくて。
この夏私が過去に一旦捨てたけれど、やっぱり「このアイテムは素敵だ!」と思い直したもの。
それを紹介したいと思います。
光をコントロール出来る存在
そのアイテムとは、答えを先にお伝えすると「カーテン」です。
私の暮らすリビングにはカーテンはなし。夫と子どもの部屋にはカーテンあり。だから光が煌々と入るリビングはお気に入りではあり。
カーテンの無いリビングのメリットは「軽さ」です。
この暑い夏、そして日が長いため、この明るく軽い暮らしは素晴らしいんだけど少々明るすぎて。(わがままですか?)
「カーテンという存在はあるだけで。光をコントロール出来るんだ。」とはじめて気づきました。
カーテンを閉めれば暗さも選択できるし、カーテンを開ければ明るさも選択できる。
強すぎる光を和らげてくれる。
捨てて「無い」生活を経験したからこその理解と境地・・でしょうか。それとも、こんなことわざわざ捨てなくても皆様当たり前のようにお気づきのこと・・なのかもしれませんが。
しかしなぜ私が気づけたか。
我が家はこの夏エアコン無しリビングで過ごしてみるという実験をしていて、
▽エアコンの無いリビングで過ごしてみたらいろんな恩恵があったよ
カーテンとエアコンのある夫の部屋に何度も避難しています。
そしてこのように感じたのです。
薄暗いって。なんて安らぐんだろう。
光が強すぎて。陽が長すぎて。19時をすぎても明るくて。心が休まりモードになかなかならない夏の身体を。
ゆっくりと鎮めてくれる薄暗さに。すっかり癒されている自分に気づきました。
モノのありがたみに気づける
捨てる暮らしのおかげで、モノひとつひとつのありがたみを実感させられます。
マンモス校の目立たないあの子、その他大勢、という存在はひとつもなくて。
過疎地の小学校のような少人数制の暮らしだからこそ全員に異なった(そして責任のある)役割がある。
ミニマリストの暮らし、ミニマムライフでのモノとの距離、とは。ひとつひとつのモノが存在感を放つ「密度ある濃い関係」になっていきます。
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だからと言って。じゃあリビングにすぐにカーテンを買い、取り付けるのか?となると話は別。
必要なカーテンはいずれ買うことにはなりそうですが、本格的に必要になってくるのは冬でしょう。今度は寒さをしのがねばなりませんから。
私は今日も「無い」暮らしを実験して経験して体験して。いつも戻るのは「モノのありがたみとその素晴らしさ」。
ミニマムライフっていうだけで暮らしはエキサイティング、心が耕されていきます。