アメリカ人作家、ヘンリー・D・ソローの「モノやお金がなくても豊かに暮らせる」を読んだ感想です。
ヘンリー・D・ソローは持たない暮らし、の実践者で、お馴染みとなった「ロハス」という言葉をはじめに口にした人。
人が自由に生きるためには、生活を小さくすることが大切、との思想がロハス(Lifestyle of Health and Sustainability)=Lohasという言葉を生みました。
この本はシンプルで簡単で大切な短文が散りばめられています。
ページをさらさらとめくって、どこから読んでも面白い。好きなページから読むのがオススメです。
ヘンリー・D・ソローという人
1817年、という時代に生まれたヘンリー・D・ソロー。この時代はアメリカがイギリスから独立し、独自の国と文化を創ろう!という流れがありました。
そのような流れに逆らうように森の中に小屋を建て、自給自足の暮らしの中で自分を見つめ、思想と哲学を磨きあげています。
なぜこのような(ミニマムライフ)の実践に至ったかというと「兄の死」がきっかけだったということです。
そのきっかけから、多くのものを手放して、シンプルに自分の心と向き合い始めたのかもしれません。
私の想像ではありますが、ヘンリー・D・ソローの哲学的な言葉に触れていると、生死を内在している「人間」のあり方について、深く深く掘り下げられているように感じました。
私も最愛の母を亡くした20代半ばのあたり、モノを捨て、刺激を減らし、シンプルに森の中で(当時暮らしていた地域には自然が多く残っていました)
今後の生き方について自問自答をしたものです。私と一緒!とまでは思いませんが、少し気持ちがわかるような気がしました。
そして早速ですが中身の紹介です。ボリュームの多い本ですので、その中から心に残った少しの言葉を引用します。
何もしない贅沢
風に吹かれるままなにもしない。
そうすることが、
ときにはもっとも
生産的な仕事になる。
引用元:モノやお金がなくても豊かに暮らせる(ヘンリー・D・ソロー)P145
著者が本の中で一貫して言っているのが「生活を小さくすれば、多くのお金を必要とせずに済むよ」ということ。
大きな生活をしようとするほど、そのために働かなければいけないよ、とも。
生産的に効率的に暮らしたい、と思っていろんなモノに手を出していきた私には一周巡って本当にそうだなぁと、深く納得してしまいます。
この一文から思い起こされるエピソードは高校生の時の出来事です。
私は運転免許を取れる16歳になって、すぐさま原付免許を取りに行きました。
数ヶ月バイトをして、バイクを購入したのです。高校1年生の時でした。どこに行くのも時間が短縮できるし、重いものだってバイクで運べます。
遊びにだってバイクで行けるのです。
これがあれば暮らしが豊かになる、と思いこんでいました。
しかし実際にバイクを購入してから気づいたことは、バイクを手に入れたことによるメリットと同時に、多くの重荷(しがらみ)も手に入れてしまった、ということでした。
具体的に言うと以下のようなことです。
(支出)
・自賠責保険、任意保険の支払いが発生
・ガソリンを定期的に入れなければいけない
・部品の破損や盗難の時の支出が発生する
・ヘルメットやカバーの購入
(手入れ)
・定期的なバイクのタイヤの空気圧チェック
・冬は水抜き剤を購入しケアが必要
(安全)
・バイクの盗難に備えた管理
・移動中は事故に注意し続けないといけない
(心理)
・人を事故に合わせてはいけないプレッシャー
・支払い続けないといけないプレッシャー
これだけのことを抱えるって、本当に豊かでしょうか?
バイクを購入しようとしている16歳の私には、ここまでのことが全く見えていませんでした。
単純にバイクがあれば、たのしーよね!くらいにしか思ってなかったのですが、大きな経済的負担、(大げさかもしれませんが)社会的責任、精神的負担までしっかり負うことになります。
ここまでの重荷を持つことになると分かっていれば、バイクの購入は見送ったと思います。
私は自分で経験して(重荷を背負ってみて、その大変さを知って)初めて理解できました。
しかし、1800年代に生まれた著者にはわかっていたのですね。なにも変わらない真理は昔からそこにあって、それに気づいている人と気づいていない人がいるだけなのかもしれません。
もたない、という身軽さ、素晴らしさに。
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おかげさまで、人はなにも持っていない、という身軽さをすでに持っているのだ、ということに気づくことができました。
まだまだたくさん素晴らしい言葉があるので、またレビューしていきます。
どちらかと言うと実用的、というよりかは「哲学的」「思想的」な本なので、私は深く考えさせられ、内省しっぱなしでした。
そして数多くの失敗を繰り返して少しずつ磨かれてきたことを、感じることができました。