贅沢ミニマリスト

「彩透(さいとう)いろ」の小さな暮らし

「お気に入りの服を持つとどうして節約になるの?」を説明します

家をスッキリさせるため、ものを捨て続けてきました。引っ越しのタイミングがあり、そこで今までになく一気に多くの服やモノを処分することができました。

一気にモノを処分する過程はすごーーーく大変でしたけど、間違いなくやってよかったです。

少しのお気に入りの服を買う

少しのお気に入りを持つ幸せ

おかげで手元に残った「お気に入り」と改めて向き合う時間が生まれました。

お気に入りを定義するなら・・「気づけばこればかり着ている」「着ていたい服」と言えるのかも。
 

「満足する」「満たされる」から

何が満たされるかというと、もちろん「気持ち」が満たされるから。結局自分が満足していると「もっと、もっと」という風にはならないんですね。

お腹が空いていると「何か食べたい、もっと食べたい」という欲求が湧いてきます。満腹になると「もう十分、満たされた」と思いますよね。

愛情もそう。「十分愛されている」と思えている人は、人の気を引いたり関心を欲しがったりしません。(これは承認欲求と呼ばれるものです)

1つのモノに満足できると・・「次々に欲しくなる・買う」といった行動が抑えられます。

だから私の提案は「1つのカテゴリーに1つのお気に入りを見つけること!」そうすると次々買う必要が無く、節約になります。

1つのカテゴリーって?

服をカテゴリー化するといいな、と私は感じています。例えば

ミニマリストのヨガウェア

ヨガウェアはこの組み合わせ一着のみ

主に私がする運動は散歩とヨガ。散歩は通勤帰りにするのでわざわざ着替えません。家でヨガをするときはこのウェアを着ます。

一着しかないから選ぶ必要がありません。

シャーリング

シャーリングが入ったバックスタイル

運動カテゴリーではこの服を着ることになります。

結婚式やコンサートなどでは

時々あるお祝い事や少しかしこまった食事会。趣味の音楽コンサート。また親戚の家への訪問・・などではワンピースを着ることにしています。

これはお出かけカテゴリー・・と名付けましょうか。

夏のワンピース

夏のワンピース


シックな紺色のワンピースは、パールのアクセサリーをつければ十分。

冬のワンピース

たった一枚、そのカテゴリーでお気に入りがあると。十分対応できます。

カテゴリー化した方がいいと思った理由

服持ちの夫と先日、コンサートへ出かけました。私は上に載せたワンピースで行ったんです。

夫はよく服を買っています。私以上にたくさんの服を持っています。その夫が、
出かける直前に夫が何枚も何枚も着替えているんです。

それで私に「この服どうかな?」と意見を求めてくる。

「少しカジュアルかなー」というと「そうだよね、そうだと思ってた!」と言いつつ着替えるんですけどね。

どれも同じような種類の服ばかりで。どれを着ても「コンサート仕様」「コンサートスタイル」にはなりませんでした。

引っ越しで服を捨てた後、ということもあったのですが、ここで気づいたこと。そうなんです。

偏った服(同じようなTシャツ!)ばかり持っていて「暮らし全般を網羅できる種類の服を持っていない」ということに、このときやっと夫は気づいておられました。

(私)「服をいっぱい持っているから、ちゃんとこういう場面の服も管理しているんだと思ってたよ」
(夫)「あると思ってたんだけど・・引っ越しで捨てたみたいで・・カジュアルな服ならたくさんあるんだけど」


たった一着あれば!それで済むのにっ!!!この時、夫の服の山を探せど探せど、無い物は無く。たったの一着の威力、たったの一着の「安心」の威力を。思い知りました。

数年は買い換えずに済むのもメリット

普段着以外の服って。年に何回くらいだろう?頻繁にお出かけして、例えば月に2回着たとしても、年間24回の着用。

私は月18日ほど勤務する私は通勤着を3着で回していますが、通勤着だと年間72回着用(1着で計算しています)しています。

どれだけ着たとしても通勤着の3分の1の着用回数で良いわけですから、大切に着れば末長く着続けることができます。

▽私の2019年夏の通勤着はこちらです。

まとめ

と言っても。完璧を求めすぎず、気楽にお気に入りを楽しんで。各カテゴリーに自分なりの「一張羅」が持てたなら。それは豊かなクローゼットなのではないでしょうか。

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そのためには自分がどんな暮らしをしたくて、日頃どんな生活をしているのか見直す必要があるかもしれませんね。

だってコンサートに行かない人はコンサート用の服なんて、そもそも必要ありませんもんね。